2024年4月1日月曜日

『犠牲者意識ナショナリズム』

背景画像をパレスチナカラーのスイカに変更しました。ウクライナカラーの小麦畑と交替で使おうと思います。

さて今回は、昨年読んだ中で、最も印象深かった本です。質量ともにボリュームがありすぎて、ひととおり読むだけでヘトヘトになりました。


『犠牲者意識ナショナリズム 国境を超える「記憶」の戦争』林 志弦(楽天)
『犠牲者意識ナショナリズム 国境を超える「記憶」の戦争』林 志弦(Amazon)

タイトルから何となく「日本人は戦争の被害ばかりを主張して加害に向き合っておらん!」と叱られる本なのかなと思っていました。しかし読んでみると、韓国とポーランドに辛辣。え、そこまで言っちゃって良いんですか……と不安になるほどの記述も。

「犠牲者意識ナショナリズム」とは、著者林志弦氏の提唱する概念で、自国の加害行動よりも他国から受けた被害を強調し、さらに直接の経験を持たない世代がその記憶を世襲することで道徳的な正当性を主張するという形態のナショナリズム(要約が適切でなかったらすみません)。

日本もそう言われてきましたが、日本だけの現象ではありません。おそらく、今いちばんそれを言われているのはイスラエルでしょう。誰がどう見ても欧州最大の犠牲者だろうと思っていたポーランドも、2018年に改正された「国民記憶院法」の危うさが気になります。

また、自国の加害に向き合おうという態度が結果的に相手国の「犠牲者意識ナショナリズム」を強めてしまうという、ある種の「共犯関係」の図式も印象に残りました。そこで強められたナショナリズムは自国に跳ね返り、こちらでもナショナリズムを強めてしまうというスパイラル。そんなこと言われても、じゃあどーすりゃいいんですかっ!って思うよね。

ただ加害と被害、その事実への向き合い方だけではなく歴史の「記憶」という深いテーマを扱っており、冒頭に書いたとおり「読むだけでヘトヘト」です。記憶の「歴史化」「領土化」「脈絡化」といったテクニカルタームも素人には少々ピンとこない部分があり、ここはもう少し学習を深めたいところ。

歴史を学ぶ際、ナラティブや記憶文化といった要素は今まで「情緒的」として、脇に置いてきた感があります。しかしこのように堅牢な言語化が可能なことなのだと、改めて重要性を感じました。ウクライナの戦争でも「ナラティブ戦」という言葉をよく聞きます。ただ何でも「ナラティブ」という言葉に押し込めてわかった気になるのではなく、情緒に関わる部分だからこそ緻密な分析が求められると思います。

ただ、本書の中で言及されている『アンネの日記』に関する記述については、そうかな?と首をかしげる所がありまして。2年前にいったん中断していたアンネ・フランク問題を久しぶりに深堀りしてみたくなりました。

ご参考までに、今まで書いたアンネ・フランク関連記事をリンクしておきます。

Amazonアソシエイトの画像提供が終了したせいで、最初の方の記事は画像がなくなり殺伐とした感じになっていますね。まずこちらを何とかせねば。

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