えらそーなタイトル付けましたけど、実は何にもわかってません。これってタイトル詐欺?
『アンネの日記』について何回か書いてきましたが、受容史やイメージ形成の経緯に興味を持った最初のきっかけは、2014年に掲載されたハアレツ紙(イスラエルの新聞)の記事です。
以前に書いたように、2014年の2月に東京都内の図書館で『アンネの日記』やその関連書籍が相次いで破られているという報道がありました。その後、アンネ・フランク関連に限らず杉原千畝などホロコーストに関連する書籍全般が被害に遭っていたことがわかりましたが、容疑者は3月に逮捕されました。
その事件が起きていた当時、Twitterなどで関連する情報を眺めていたところ、ハアレツ紙の記事に行き当たったのです。
- Why Are the Japanese So Fascinated With Anne Frank?
- Behind Japanese fascination with Anne Frank, a ‘kinship of victims’
- 戦争被害者として共感?『アンネの日記』日本で人気の理由 イスラエル紙が分析
上のリンク先、いちばん上はハアレツ紙の公式サイトです。掲載当時は全文が無料で公開されていましたが、その後有料化され、現在では登録しないと読めないみたい。でも2番目に挙げた The Times of Israel に同じ文章が転載されています。3番目は NewSphere という日本のニュースサイトで、全訳ではありませんが内容が簡単に紹介されています。
記事の日付は2014年1月22日。きっかけになったのは、iPadアプリとして発売された "Anne Frank in the Land of Manga"(マンガの国のアンネ・フランク)*というドキュメンタリーが1月にフランスとドイツのTVで放映されたことのようです。たまたまその後に破損事件が報道されたせいで注目を集める結果になったみたいですね。
* 日本語版は出そうにないですが、「ホロコーストとマンガ表現」という論文に、簡単に内容が紹介されています。
で、このハアレツ紙の記事を読んでみたわけですが……正直、この記事が何を言いたいのかよくわからない。特に日本でアンネの人気が高いとしつつ、実際にアンネ・フランク・ハウスを訪れる観光客の数で見るとそうでもない気がします(オランダの他の観光名所と比べたデータが欲しいところ)。戦争被害者として共感を呼んでいると言いつつ、若い世代は戦争に無関心。18歳の日本人観光客にインタビューしていますが、内容に少々矛盾している部分があり、何かが Lost in translation しているのでは?と感じさせます。
おそらく、戦争に関して日本人は被害者意識ばかり強く、自国の加害を無視しがちであるということを言いたいのかなと思いますが、それを言うために「日本でのアンネ・フランク人気」を現実より強調しすぎているのではないでしょうか。
被害者意識については、複数のアンネ関連本に記載がありましたし、他の文脈でもたびたび言われることです。戦時の日本が「中国・韓国のアンネ・フランク」を作り出していたことに関心を持たないという批判には謙虚に聞くべきものがあるでしょう。この記事の約半年後、ガザからTwitterで発信するファラ・ベイカーが「パレスチナのアンネ・フランク」と呼ばれたのは皮肉なことですが……。
ファラ・ベイカーについては、パトリカラコスの『140字の戦争』に詳しく書かれています。2017年の発行(邦訳は2019年)ですが、ロシアとウクライナの紛争とそれに関するSNS利用という、現在にも直接つながる問題についても触れられているので、再読してみようかなと思っているところです。
さて、このハアレツ紙の記事に関してTwitterでは「日本人のアンネ崇拝もヤバい次元に達している」「日本でだけ人気の高い『フランダースの犬』的現象ではないか」などの意見が散見されていて*「うーん、そうかなー?」と思ったんですよね。有名は有名だけどそんなに人気ある?
* Togetterにまとめがいくつか残っています。ガチの陰謀論・ホロコースト否定論のツイートも混じっているのでリンクするのはためらわれますが、興味のある方は探してみてください。
最初の記事で書いたように、私はこの時点で『アンネの日記』を読んでいなかったし、中高時代を振り返っても周囲に読んでる子がいた記憶がないんですよね。使っていた教科書にも載っていませんでした。ホロコーストといえば高校時代に読んだフランクルの『夜と霧』ですよ。あの衝撃は今でも忘れられません。
今思うと、当時からアンネ関連本は児童書が多かったのでしょうか。「子どもが読むもんでしょ」と少々バカにした気持ちがあったのかもしれません(中二病)。
そういうこともあって、本当に『アンネの日記』はそんなに日本で人気があるのか?ということを知りたくなり、受容史的なものを探してみたのですが、なかなか見つかりません。キャロル・アン・リーの『アンネ・フランクの生涯』には簡単な記述がありますが、他の本からの引用で数行だけ。
日本で出版されている本は、アンネ・フランクの生涯とその背景にあるホロコーストの歴史を説明するものの他は、アンネゆかりの地を旅して回るというものが多いですね。その中で印象に残ったのが、小川洋子さんの『アンネ・フランクの記憶』の冒頭にある、次のような文章です。
わたしが一番意外だったのは、旧版で形づくられていた、被害者としての純真なかわいそうな少女のイメージが、完全版により打ち破られた、あるいは彼女の人間臭さ、激しさ、心の奥の暗闇が暴かれた、というような見方がされたことだった。
わたしは何度旧版を読んでも、アンネを汚れなき神聖な少女だと思ったことは一度もなかった。境遇の違いは理解していても、常に彼女と自分を同じ座標で照らし合わせていた。
これは「完全版」が出版された時のメディアの反応についてのもので、文中の「旧版」はそれ以前に出版されていた、性に関する記述などを割愛したバージョンのことを指しています。
そう言われてみれば私自身、日記本体は読んでいなくても「被害者としての純真なかわいそうな少女」という、ふわっとした印象は抱いていたように思います。で、そういうイメージはいったいどこから生まれたものなのだろう……という所で、前回に書いた『悲劇の少女アンネ』や、それ以前の舞台劇や映画など(観てないけど)がイメージ作りに一役買ったのではないかなぁという可能性に思い至ったわけです。
受容史やメディアミックスについては、日本語で書かれたものが見つからないので、以下の2冊を読んでみました。
Anne Frank: The Book, The Life, The Afterlife
Anne Frank Unbound: Media, Imagination, Memory (The Modern Jewish Experience)
日本でのアンネ・フランク受容はどのように分析されているのでしょうか。「日本人のアンネ崇拝はヤバい次元に達している」とか書かれてたりする?
……と思ったのですが、2冊とも日本に関する言及はほとんどありませんでした。上の "The Book, the Life, the Afterlife" の方では、アンネ・フランク像が世界中の文化に与えた影響を示す例として「日本(日記の出版が大成功をおさめ、初版から5ヶ月で116,000部を売り上げた)では日記内での月経に関する記述から『アンネの日』が月経を表す隠語となっている。アンネ・フランクの名を冠したバラは日本中で栽培されている」という文章がありますが、それだけです。"Unbound" の方も1995年に製作されたアニメ版「アンネの日記」の紹介がある程度。ほぼガン無視です。「ヤバい次元に達している」かどうかはともかく、アンネ熱が最も高いのはおそらく米国です。『アンネの日記』は全米の高校の約半数で必須の課題図書として読まれているそうですから、その浸透度は日本の比ではないでしょう。ただ、性に関する記述から反対も強いらしいのですが。
なので、『フランダースの犬』とは位置づけが全然違うと思いました。まぁ日本での受容のされ方なんか世界的にあまり関心は持たれていないので、気にすることはないよという所でしょうか。
とはいえ、日本での「アンネ・フランク像」が(あるいはホロコースト全体の理解も含めて?)ガラパゴス化しているのは確かかもしれません。文化的・歴史的背景が違えば受容の仕方が変わるのは、ある程度当然とは思うのですが……。
日本特有の事情としては思い浮かぶのは、やはり生理用品の商品名として使われたことでしょうね。あと私の想像ですが、『赤毛のアン』とのイメージ的混同があるのではないかと疑っています。後者はともかく前者についてもう少し深掘りしてみたい気持ちはありますが、少々飽きてきたというか、アンネ関連ばかり読んで疲れてきた感があるので、本を1冊紹介するだけにしておきます(読んでません)。
というわけで、アンネ・フランクに関して数回にわたっていろいろ書き連ねてきましたが、ここでいったん一区切りにしたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。
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