2024年4月29日月曜日

「大吉原展」その1・吉原炎上編

個別展覧会の感想はあまり書いていないのですが、これは書いておくべきかなと思いました。

大吉原展(東京藝術大学大学美術館)

2024年の注目展覧会として雑誌にも載っており、個人的に楽しみにしていた展覧会でした。

ですが開催前に展覧会の趣旨や広報の在り方などに批判が起きて炎上し、少々心配な事態になったので、それも含めて記録を残しておこうと思います。長くなったので2回に分けました。今回の内容は開催前の炎上騒ぎです。

展覧会の内容については次回に書きますが、これからご覧になる方のために簡単に注意点など。

まず、図録は厚さ約3cmの大型本です。東京新聞のオンラインショップでも通販できるみたいなので、買ってすぐ読みたいのでなければ通販の方が良いかもしれません。マジ重かった。

図録のボリュームがあるということは作品点数が多いということですね。ひととおり見るだけで2時間は必要かと思います。余裕をもってお越しください(って誰目線)。

それから、展示室には作品リストが置いてありませんでした。特設サイトのトップや、東京藝大のサイトにPDFデータがあるので、必要な人は各自で印刷するかダウンロードして見てね、ということでしょうね。リストにメモを取る習慣のある方は要注意です。

さて、まず炎上の経緯から。本展は東京藝術大学、東京新聞、テレビ朝日の主催であり、東京新聞では2月1日に「大吉原展 江戸アメイヂング」の記事を掲載しました。記事本文には「今や失われた吉原遊廓における江戸の文化と芸術を歴史的に検証し、その全貌に迫ります」とあります。公式サイトにもチケット情報やイベント情報が追加されました。

しかしその宣伝文句や、花魁道中などの再現を観覧できる「お大尽ナイト」というイベントなどに対し「買う側の視点に寄り過ぎている」「女性の人権侵害であった性売買・性搾取が無視されている」などの批判が起こります。詳しくは以下のスレッドやリンク先の動画をご覧ください。

これらの批判を受けて、主催者側は2月8日に「『大吉原展』の開催につきまして」という声明を発表し、遊郭は「人権侵害・女性虐待にほかならず、許されない制度」であるとして「決して繰り返してはならない女性差別の負の歴史をふまえて展示してまいります」というスタンスを表明しました。ポスターの色彩は華やかなピンクからグレーに変わり「江戸アメイヂング」や「The Glamorous Culture of Edo's Party Zone(江戸パーティゾーンの華やかな文化)」といった表記も削除されました。

まぁそれで一段落というか、何よりまだ開催前だったので広報資料以上のことは未知数。それ以降は特に騒動や反対運動が起きることもなく(少なくとも私の知る範囲では)無事に開幕を迎えました。

この「炎上」について報道・考察したWeb記事をいくつかリンクしておきます。

このうち、3番目のNewsweekの記事がちょっと気になりました。担当学芸員である古田亮・大学美術館教授のインタビューとして次のような言葉が記載されています。

しかし筆者のインタビューで古田教授は「人が殺される光景を描いた絵画を展示するに当たって、人を殺すことは悪いことだという説明を述べる必要があるだろうか」と疑問を呈した。説明を加えれば、なぜその説明を加えたのかについて更なる説明が要求され、作品自体から遠ざかりかねない。

この言葉にはやはり違和感を感じます。現代の日本で性売買は違法ですが、それが悪であるという感覚は、殺人を比喩に使えるほど共有されているでしょうか。

銀座にある「ヴァニラ画廊」というギャラリーでは、連続殺人犯の描いた作品や手紙、事件に関連する物品を展示する「シリアルキラー展」が何度も行われており、現在も「シリアルキラー展2024」が開催中です(5月26日まで)。2016年の展覧会パンフレットには、次のような文章があります。場所も規模も作品の性質も大きく違う展覧会なので単純に比較はできませんが、引用しておきます。

今回の展覧会では特にアート作品に焦点を置き、彼らの手紙や所有物なども展示をするが、特に内面的なものを感じさせるものを中心に選定した。
誰かに見せるわけでもなく、ましてや自慢できるようなものではない、孤独に蒐集してきたコレクションであるが、これらのものを通じて、彼らの精神世界を覗くことの意義はゼロではないと信じたい。犯罪者への憧れをいたずらに増長させるものではなく、個々人がそれぞれ抱えているであろう人間の黒い穴と向き合う場になればと今回の展覧会開催に踏み切った。私が何に惹かれ続けてきたのか、私自身が向き合う良い機会だとも思う。(2016年版パンフレット「Introduction」より)
実際の犯罪に対し、今、マスメディアを中心とした報道は、殺人犯を「異なるもの」と強調する。その異なる有り様を、ポップなキーワードにて「単純化」する。一方、ネット社会での一部では、マスメディアに対抗するかのよう犯罪肯定論に走る傾向がある。このような環境に囲まれた我々は、時として懐疑的態度を見失い、大きな力に取り込まれ判断を誤る危険性を持っている。稀にみるこれだけの展示物は、得体の知れない力を部屋中に充満させているだろう。我々は、これらコレクションの力に取り込まれてはいけない。これらは、シリアルキラー自身ではない。ただの心理学的な痕跡である。(同「殺人心理学論考」東洋大学教授・桐生正幸)

また、2015年に太田記念美術館で「浮世絵の戦争画」展が開催されたときも、入口のところに「戦争を肯定する意図はない」というような注意書きがあったように記憶しています。

殺人や戦争だと、こうなんですよ。現実にあったことの犯罪性・非人道性を隠すことはできないし、「猟奇殺人ナイト」みたいなイベントはあり得ないでしょう(正直興味あるけど)。なぜ性売買ならそれが許されると思ったのか。

もちろん上記のような記述を、たとえばカラヴァッジョ展で見かけることはないでしょう(カラヴァッジョは何度も乱闘騒ぎを起こし、ついには喧嘩相手を死なせて指名手配を受けている)。また戦国武将のコスプレや「討ち入りナイト」なら「あり」だと思います。

何が許されて何が許されないのか。少々ぼやけた言い方で申し訳ないですが、現代の私たちの世界とどの程度「地続き」かということではないでしょうか。遠い昔の、現代では考えられないこととして扱うのか、今この世界で現実に起こり得ることとして扱うのか。その点に関する意識の差がありそうな気がします。

東京新聞の今年の事業を紹介する記事(1月4日朝刊)では「吉原遊廓は現代では存在せず、今後も出現することはない場所であるが」という、さらっとした前置きがありました。「地続き感」はそれほど感じられません。

しかし炎上後の記事を見ると、同じく東京新聞に田中優子先生(「大吉原展」学術顧問)が寄稿された「『大吉原展』に寄せて」(3月7日朝刊)の文章はもっと厳しく「遊女は通常の仕事と異なり、年齢を重ねるとともに価値が下がる。病気や暴力とも隣り合わせだ。現在も続く売春特有のこの性質は、到底『仕事』とは言えないものである。人権を重視する社会ならば、根絶せねばならない」としています。こちらは、かなり「地続き」に感じます。最初からこのスタンスであれば「お大尽ナイト」はあり得なかったでしょう。このへんが何ともチグハグな感じです。

現在吉原遊廓は存在していませんが、その一角はソープ街になり、借金のため(だけではないとしても)に性的に働かされる女性たちは今もそこにいる。そしてその場所は展覧会が行われている東京藝大のすぐ近くなのです。本来なら「地続き感」がなくてはならない展覧会ではないでしょうか。

展覧会を鑑賞する私たち、社会の空気も変わっていると思います。この「大吉原展」は準備に5年かけたそうですから、プロジェクトが始まったのは2018~19年ごろでしょうか。#MeToo 運動がようやく日本で広がり始めた時期です。

2018年に太田記念美術館で開催された「花魁ファッション」展は「華やか」で「ゴージャス」な遊女の装いを強調していましたが、特にそれが問題視された記憶はありません。小規模な美術館の企画展(特別展より地味)であり、さらにファッションに特化した内容だったという事情もあったと思いますが。

でもその3年後、2021年には江戸東京博物館が吉原関連の展示を行い、公式Twitterが「煌びやかな遊郭の世界」とツイートしたことが批判を浴び謝罪するということがありました。

当館の展示では吉原が江戸文化の形成に大きな役割を果たした「表」の面と経済的な理由から身を売らざるを得なかった遊女たちの苦しい実像という「裏」の面、両面を紹介しています。12月6日の「吉原風俗図屏風」を紹介したツイートで「煌びやかな遊郭の世界」の表現は不適切でした。お詫び申し上げます
https://twitter.com/edohakugibochan/status/1468451510145392640

私はこの展示を見ていないのですが、展示自体は吉原の非人道的な面もきちんと紹介していたようです。それでもこの時点ではもう「煌びやかな遊郭の世界」が許されない表現になっていたということですね。それで2024年に「お大尽ナイト」なんて企画したら、そら炎上するわ! 「大吉原展」の広報の方はこの件をご存じなかったのでしょうか。

そんなこんなで。今回はいろいろと批判的なことも書いてしまいましたが、展示されていた作品は素晴らしいし、構成や解説もわかりやすく工夫されていたと思います。特に歌麿の《吉原の花》は海外にあって滅多に見られない作品です。江戸文化に興味のある方は行って損はないと思います。批判すべき点がないわけではないですが、それはまた改めて詳しく書きたいと思います。


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