2022年4月15日金曜日

『アンネの日記』に関するWikipedia記述の出典を探す(後編)

前編では、Wikipedia「アンネの日記」に掲載されている話の出典が見つからん!いくら探しても見つからん!という話を書きました。

それがですね、シュナーベル著『悲劇の少女アンネ』のあとがきに、そのままではないですが似たような記述を発見しました。

あとがきを一部抜粋します。



偕成社『悲劇の少女アンネ』あとがきより

画像部分の前も含めて「あとがき」の概略を記しておくと――訳者の久米氏は1956年に舞台劇を観たことがきっかけで『アンネの日記』を読み、アンネ・フランクについて知りたいと思って文献を探したが、当時は簡単な記述しか見つからなかった。それから10年経った1966年に、海外旅行案内のオランダ編で「アンネ・フランク・ハウス」のことを知り、矢も楯もたまらずオランダへ向かう。そしてアムステルダムでアンネの隠れ家を見学し、そこでシュナーベルの著書を発見。関連本を扱っている近くの書店へ行って本を購入し、書店主に対して「アンネの資料を集めて日本の少年少女たちに紹介したい」と言ったところ、近くにいた年配の女性客から「あなたたち日本人が、いまさらアンネのことを知ってどうする。日本はかつてナチス・ドイツの同盟国であり、アンネの死にはあなたにも責任がある」と言われてしまう。答えに窮していると書店主がとりなしてくれ、その女性客は「幸運を祈りますよ」と言って去って行ったのだった。

もう一度、Wikipediaの記述を引用します。

日本語訳の初版が出版された当初のオランダでは、日本がこの本を発行することに対する抵抗が強かった。原因はかつてオランダは、アジアに持っていた植民地であるインドネシアにおいて、大日本帝国と対峙し追い出された上に、かつて大日本帝国がナチス党政権下のナチス・ドイツの同盟国であることが原因と思われる。訳者の1人が、アムステルダムの本屋で、アンネ・フランクについての文献を探していたところ、市民らから「お前たち日本人に、アンネのことが分かってたまるか!」と店から追いだされたり、本屋によっては「日本人にはアンネの本は売れない」と拒否されたという(訳者の一人の「解説」より)。

文献を求めてアムステルダムの書店へ行き、日本人であることを理由にとがめられる――という状況は共通しています。

しかし、違う点もあるので断定はできません。

まず時期が「日本語訳の初版が出版された当初」でなく、それから10年以上経過した1966年。確かにこの時代なら、舞台や映画を通じて世界中に広がり、反戦の象徴として人々の共感を広く得る存在になっていたはずです。前編で書いたように初版の出版当初というのはあり得ないだろうと思っていたので、この点はむしろ納得したと言うべきでしょう。

しかし久米氏の体験に対して、Wikipedia 記事はもっと強烈です。書店主が取りなしてくれるどころか、複数の「市民ら」によって店から追い出され、また別の書店では販売拒否に遭っているのですから。まぁこの点もちょっと現実味に欠ける気がするのですが……。

久米氏が他の媒体にもっと詳しく書いたという可能性はあるだろうか?と思い、もう一度リファレンスサービスも利用してみましたが、該当する資料(書籍や雑誌記事など)は見つかりませんでした。

まったく別人の体験であるという可能性も排除できませんが、もうこれが伝言ゲーム的に誇張されちゃったということにして良いですか? 何だか、これを発見したところで気が抜けてしまい、また本文を読んで別の点にも興味が出てきたので、出典探しはこの辺で終わりにしようかなという気持ちになりました。

いずれにしても、Wikipedia の記述は出典の書き方もいい加減だし、何らかの書き直しは必要な気がします(自分でやれば良いのですが、方法がよくわからないので)。

それにしても、『悲劇の少女アンネ』は最初に紹介したラインナップに「未読」として挙げていたんですよね。その時に読んでいればすぐに見つかったはずなのですが、児童書ということでスルーしちゃってました。

で、「別の点にも興味が出てきた」という話ですが。この『悲劇の少女アンネ』はエルンスト・シュナーベルがドイツ語で書いた Anne Frank: Spur eines Kindes の翻訳なのですが、訳というより子ども向けにわかりやすく書き直したという感じですね。久米氏の訳書でもう一冊『少女アンネ―その足跡』という本が出ているのですが、こちらは原書の完訳となっています。


『少女アンネ―その足跡』

原書はアンネを知る人40人以上にインタビューした内容を書き記したものなので、時系列的に前後する部分もあったりするのですが、『悲劇の少女』の方はアンネが生まれてから収容所で亡くなるまでを物語風に再構成しています。そのため順序が入れ替わったり省略されたりした部分があるのですが、逆に原書にないエピソードが加わっている所もあるのです。これが別に「元ネタ」がある話なのか久米氏独自の創作なのかが、今すごく気になっているんですよねー。この本は、日本における「アンネ・フランク」のイメージにかなり大きく影響していると思うので。

なお、上に紹介した「あとがき」には、みすず書房が先に版権を獲得していたという話が出ていますが、これは『アンネのおもかげ』という邦題で1958年に出版されています。古い本では、この『おもかげ』を参照していることもあるので、最初はシュナーベルさんが何冊も本を出しているのかと思いましたが、原書は全部同じなんですね。

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