2023年2月4日土曜日

道尾秀介『いけない』

読んだ本の感想です。読んでからもう2ヶ月以上経つのですが、感想を書きたいのになかなかまとまらないという厄介な本でした。


興味はあるけどまだ読んでいないという方は、この先をいっさい読まない方が良いかもしれません。途中まではできるだけネタバレせず、後半からネタバレありで感想を書こうと思っていますが、本書に関しては「~というタイプの作品です」ということ自体、知らない方が良いかもしれないので。

よろしいですか?

この『いけない』は、書店やAmazonなどの宣伝文句から、叙述トリック作品と位置づけられているみたいだったので、それを見た瞬間「これは読まねば」と思いました。

叙述トリックものは、特に大好物とまでは言いませんが嫌いじゃないし、話題になったものはなるべく読むようにしています。うっかりネタバレを見ちゃうと面白さが半減するので、その前に読んでしまえ! というわけです。

叙述トリックとは、「読者をだます」仕掛けのこと。男性だと思っていた主人公が実は女性だったり、同一の事件を複数の視点で描いていると思わせておいて実は違う事件を描いていたり、時間軸を誤認させて現代と過去の話を交錯させていたり。最後にネタバラシがあって「あっ、そういうことだったのか~~~」と思った瞬間に、今まで読んできた物語のシーンがオセロのコマのようにパタパタと裏返り、まったく違う物語が浮かび上がってくる――というような小説です。たとえば……と例を挙げたいところなのですが、そういうわけですから「この作品には叙述トリックが使われています」と紹介するだけでネタバレになりかねないので悩むところです。冒頭に書いた文章の意味がおわかりいただけましたでしょうか。

それでも知りたい! という方のために、私のブクログページを紹介しておきます。「タグ」から「叙述トリック」を選んでみてください。私が読んだものに限られますが(そんなに多くないよ)該当する作品が表示されます。個人的にいちばん「えーっ」と言わされたのは、ミシェル・ビュッシの作品ですね。アレをアレしているのがアンフェアだという評価もあるのですが。

 ■ 絵を読む。字を見る。謎を解く。(ブクログ)

さて本題です。

この小説『いけない』は、何年か前に単行本が出ているのですが、今回文庫化され、また『いけないII』が発売になったことで目に留まりました。

「ラスト1ページですべてがひっくり返る。話題の超絶ミステリがついに文庫化!」

こんな宣伝文句を目にしたら、そりゃ読まないわけにはいきませんよ。しかも各章の終わりに1枚の「写真」が挟まれ、それを見ることで物語世界が一変するというじゃありませんか。こんな仕掛けは今まで見たことがありません。

というわけで、早速読んでみたわけですが……。

うーん、正直に申し上げて「ラスト1ページですべてがひっくり返る」というのは少々言い過ぎだと思いました。むしろ「それを期待してはいけない」と思います。

叙述トリック、あることはあります。でもそれと写真は関係ないんですよね。そうではなく、作中で明言されなかったことが写真を見て何となくわかる――という感じなのです。あの場面で亡くなったのは誰なのか? 主人公を助けたのは誰か? この人は何をやらかしたのか? 明確な答はありませんが、もう一度本文に戻って状況をよく確認してみると「こうなのかな?」という結論らしきものに到達できる。

で、そうなると「答え合わせ」してみたくなるじゃないですか! 私もぐぐりましたよ。「いけない 道尾秀介 ネタバレ」で検索して、いろいろ考察しているブログに目を通しました。「やっぱりそうだよね~」と思う所もあれば「あっそれには気づかなかった!」「いや、それはどうかな…?」と思う所もあり。SNS時代に合った作品であるのは確かですね。

以下ネタバレが入りますので、もう一度画像を入れておきます。ネタバレOKの方のみ下へスクロールしてください。


1章「弓投げの崖を見てはいけない」

叙述トリックはこの章で使われています。安見邦夫が冒頭で交通事故を起こす。その事故で1名が死亡したことが語られ、当然邦夫さんが亡くなったものと思うわけですが、そうではない。邦夫さんは失明したものの命はとりとめ、亡くなったのは助手席にいた幼い息子の直哉君。このミスリードが巧みなのですよね。地の文章がギリギリ嘘ではないけれど騙す気まんまん! でも完璧ではなくところどころにホコロビのような違和感を感じさせる描写が配置され、真相がわかってみれば、これヒントだったか!と気づくわけです。

たとえば、事故現場に花とともに供えられたメッセージ。幼い字で書かれたもので、現場にいる隈島のモノローグ(だったと思います)で「幼稚園の子供たちが書いたものなのだろう」と言われていますが、邦夫は保育士で勤務先は保育園です。あれ、間違ってる? と思わせておいて、実は直哉と同じ幼稚園に通っていたお友達だった――というわけですね。

隈島と弓子がかつて恋人同士でありながら他人行儀でよそよそしいのも、同じアパートに邦夫がいるならむしろ当然ですし、昔のことを口にした隈島を弓子が「とがめるような」顔で見たのもわかります。

最後の写真は安見夫妻の住む「ゆかり荘」の位置が書き込まれた地図。この地図を見ながら3人の登場人物が終盤でたどるルートを判断すると、ラストシーンで車にはねられたのが誰なのかがわかるという仕掛けになっています……で、これは隈島さんで正解なのでしょうね。残念です。

少々気になる点としては、失明してまだ3ヶ月の邦夫が尚人を一撃で倒すのはちょっと無理があるのでは……という所でしょうか。

2章「その話を聞かせてはいけない」

1章から5年くらい経った時点の話で、主人公は中国から移住した少年、珂(カー)。放課後の文具店で何やら怪しい光景を目にしてしまい、「殺人事件ではないか」と思い悩みます。いったんは自分の勘違いかと思ったものの実は本当に事件は起きていて……。

本編を最初に読んだ時には「え、何これホラー?」と思ったのですが、最後の写真では子どもが車に乗り込もうとしています。服のデザインから、同じクラスの山内くんであることがわかります。これは単純に、車に隠れていた山内くんが最後に加勢して、珂の危機を救ったということで良いのでしょうか。「そのまんますぎない?」という気がしないでもないです。

不意を突かれたとはいえ、大人2人が小学生2人に倒されるか? という疑問は残りますが、まぁおばさんの方は珂を殺すことにも抵抗を感じていたようだったので、甥を止めようとしたかもしれません。それでもみ合いになり、2人とも袖をつかまれて……ということだったのでしょうか。

写真がストレートすぎるせいか、隠れた人間関係があるのではないかという考察もいくつか見かけました。たとえば、山内くんは殺人犯である「甥」の息子ではないかとか、山内くんに暴力を振るっていたホームレス男性が、殺された「おばさんの夫」ではないか、など。うーん、でもいまいち説得力を感じないんですよね。ホームレスの人は関係ないんじゃないでしょうか(それとも何か重要な点を見落としてます?)。

3章「絵の謎に気づいてはいけない」

叙述トリック、ホラーと来て第3章は正統派ミステリ!

1章でもちらちらと話に絡んでいた怪しい宗教団体の幹部信者が死亡します。遺体発見現場の状況からは自殺と判断して良さそうですが、何か引っかかる。そうこうするうちに、第一発見者のひとりが殺害され、ますます怪しい状況に。

この章の写真はすごいですね。「ラスト1ページですべてがひっくり返る」というアオリ文句、この3章に限っては使って良いかもしれません。

被害者の手帳に描かれていた謎のイラストが、実は事後の共犯者(と言って良いですよね)が手を加えたもので、本来何が描いてあったのか? がラストの写真でわかります。そしてそれをやったのが誰であるかも、ペンのデザインでわかってしまいます。

厳密に言うと、ラストの写真ではイラストにまだ手が加えられていないので、本当にそのペンを使って証拠を改ざんしたと断定はできません。ペンを近づけていたけど実は描き込んでいなかったという解釈もまぁ、不可能ではないでしょう。でも、おそらくは見たまんまで……。

モンブランのペンを愛用していた竹梨刑事が、手帳のイラストを見てスマートキーを塗り潰 し、矢印を棒人間のように偽装した――ということなのでしょう。そしてそれに気づいた水元刑事を殺害したのですね……。

竹梨刑事は、1章では隈島刑事とコンビを組んでいました。そしてこの章で、隈島刑事は何年も前に「いなくなって」います。ということは、1章で車にはねられたのはやはり……。

終章「街の平和を信じてはいけない」

終章で、それまでの登場人物たちが再登場。それまで独立した話として語られてきた章が、ひとつの世界にまとまります。この章で安見邦夫が再登場し、森野が警察に逮捕されたらしいことがわかります。ということで、車にはねられたのはやはり(もうわかったよ!)

2章で登場したときは不気味な感じだった山内くんも、邦夫さんの視点からはごく普通に会話しているようです。あの不気味さは珂の主観だったということでしょう。珂くんも、お父さんの店が流行りだしたみたいで、状況は良くなっているようです。邦夫さんがすべてを告白しようと一度は決断したものの、最後で気が変わったのは珂との再会が理由だったのでしょうか。邦夫さんも内心、告白したくない気持ちがどこかにあったのかな。

邦夫さんは自分の書いた告白文(尚人と森野弟を殺害した件)をいったんは竹梨刑事に渡しますが、その後気が変わってこっそり取り返します。しかしそのカバンには、竹梨刑事自身が書いた告白文も入っていました。邦夫さんは間違って竹梨の告白文を取ってしまい、それをびりびりに破いて破棄。竹梨刑事は知らずに邦夫の告白文を持ち帰りますがその中身は――。

というところで本文が終わり、最後の写真には白紙の便箋。

邦夫さんは、自分の犯行を告白文に綴り、妻の弓子さんに代筆させていました。事実をそのまま書いたのではなく、妻の関与を隠すという脚色を行っているので、その点をしっかり確認させておく必要があったのでしょう。弓子さんは当然抵抗しますが、結局は夫の説得を受け入れ、語られた通りに告白文を代筆したようです。邦夫さんはペンが紙に触れる音を聞き、書いた後に音読させて確認しています。当然、封筒に入れるときも紙を触り、文字が書かれていることを確認しているでしょう。

だとすると、弓子さんが中身をすり替えることは可能だったのでしょうか? 開封すると痕が残りそうだし、封筒ごとすり替えたとしても微妙な感触でバレるのでは?

……と思ったのですが、邦夫さんの指先の感覚はそこまで鋭くないですね。竹梨刑事の封筒との違いに気づかないくらいですから。邦夫さんは視力を失った当時、少なくとも42歳になっていますから(大学卒業後、2つの保育園で計20年勤務)、感覚をそこまで鍛えるのは難しいのでしょう。でも邦夫さんが自分の前で読まれることに同意していたらどうなったかな。

というわけで、不穏な雰囲気を残しつつも表面上は穏やかに終わりました。

で、ひとつ気になったのは森野雅也のその後です。

告白文を渡すと決めた邦夫さんが、罪を認めて刑に服すつもりだったのか、自殺するつもりだったのか、本文からははっきり読み取れませんでしたが、おそらく後者でしょう。

しかし、森野雅也が復讐しに現れるという可能性をどう考えていたのか?

1話の最後で交通事故の直後、雅也らしい男が警官に取り押さえられ、連行されて行ったということはわかりました。終話の段階で、邦夫は「自分はもう復讐しに行くことはできない」と思っているだけです。でもあなた、その人の弟を殺してるでしょ? 逆の可能性を考えないんですか?

この時点で雅也はまだ服役中のようです。ということは、安見邦夫殺害未遂の共犯として立件されたのでしょうか。

雅也は最初、死亡したのは邦夫だと思っていたので、尚人の車に乗っていたことはあっさり認めて「あれは事故だ」と主張しました。自分はただ同じ車に乗っていただけ。事故を見たけど通報しなかった、それだけ。しかし邦夫さんが生きて証言できる状態であるとなると事情は変わります。顔面を何度もハンドルに叩きつけるのを見ており、命令されて証拠隠滅もしている。無関係だという主張はできないでしょう。

さらに、弟のこともあります。浩之は行方不明のまま姿を現さないので、安見夫妻に殺されたと雅也は確信したでしょう。なので、警察に捜査してもらうために洗いざらい告白し、安見夫妻に動機があることを説明したのではないでしょうか。しかしその時、すでに浩之の遺体は遺棄されていました。鑑識で部屋を調べれば証拠は見つかったかもしれませんが、雅也の話だけでは捜索令状を取るだけの根拠にならなかったということだと思います。

直哉が同乗していたことは本当に気づいていなかったので、この件はどうなるのでしょうね。まぁ雅也は薬物も使用していたようだし、他にもいろいろ余罪があるかもしれず、終章の段階ではまだ服役中だったのでしょう。

もしかすると終章の時点では、いろいろあったゆかり荘を出て別の場所に引っ越していたかもしれませんね。

ただ、2人がかりとはいえ夜中に遺体をこっそり運べたかどうかは微妙だと思います。

そんなこんなで、少々のモヤモヤを残しつつも平和な光景で物語は終わります。

この話はここで終わって、じゃあ次は『いけないII』を読もうかな……と思ったのですが、1章「弓投げの崖を見てはいけない」が最初は別のアンソロジーに収録されていたと知って予定変更。そちらを先に読むことにしました。


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